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第二次世界大戦とプロパガンダ - ヨーロッパ報道写真の終焉

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第二次世界大戦開始により、初めて本格的な戦争写真が登場する事になる。第二次世界大戦を通じてヨーロッパの多くの写真家アメリカへ移住し、大戦の終結により、美術の各分野と同様に、写真の中心は、荒廃したヨーロッパからアメリカに完全に移る事になる。

第二次世界大戦とプロパガンダ - ヨーロッパ報道写真の終焉

ヨーロッパでの政治的緊張が高まっていく中で、ダダの流れから、写真を政治的に用いる傾向がドイツで起こっている。雑誌AIZにおけるジョン・ハートフィールドの反ナチ的なフォトモンタージュ作品群である。

このような手法はプロパガンダの走りであるが、一方で、体制側のプロパガンダにも、写真が多用され、特に戦後にかけて、社会主義諸国において、盛んに用いられた。その典型例が、ソ連の『USSR Construction』(建設のソ連邦・ソ連邦建設)である。この中で、フォトモンタージュ技法が著しく発展したことは、一種の皮肉であろう。この流れの中で、日本戦前の『FRONT』も考える事が出来る。

そして、第二次世界大戦開始により、初めて本格的な戦争写真が登場する事になる。ロバート・キャパ(Robert Capa; 1913年-1954年)(崩れ落ちる兵士)やユージン・スミス(W. Eugene Smith; 1918年-1978年)などである。LIFEは、この分野においても、破竹の勢いを示し、数多くの作品を「モノにしている」。しかし、その割に、そのような作品を撮影した写真家の名前は広まっていない。上述の「写真家名の欠如」の現われといってよい。

なお、この時期について、戦後の写真を予感させる写真家として、ウィージー(Weegee; Usher H. Fellig, Arthur Fellig, Arthur H. Fellig; 1899年-1968年)を挙げる事が出来る。ウィージーの作品のポイントは、「個人の視線」である。他の誰の作品でもなく、「ウィージーの作品である」と、作品が自己主張している、行儀が悪いという点に特徴がある。

第二次世界大戦を通じてヨーロッパの多くの写真家アメリカへ移住し、大戦の終結により、美術の各分野と同様に、写真の中心は、荒廃したヨーロッパからアメリカに完全に移る事になる。

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