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コロジオン法

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1851年、フレデリック・スコット・アーチャーがコロジオン法を発明し、金属板に代わりガラス板を使ったネガ版を作る写真術を導入した。

コロジオン法

  

1851年、フレデリック・スコット・アーチャーがコロジオン法(湿式コロジオン法)を発明し、金属板に代わりガラス板を使ったネガ版を作る写真術を導入した。またこれに先立ち、スロベン・ジャネス・プハールは1841年にガラス面へ写真を撮る技術を発明し、1852年7月17日、パリで認知されている。

ガラス板によるコロジオン法はダゲレオタイプの鮮明さとカロタイプのネガポジ方式の複製可能性の両方を併せ持っていたため、1850年代にはダゲレオタイプに代わり、肖像写真の主流となってゆく。また印画紙のハロゲン化銀を凝結させるために卵白を使った新しい印画紙、アルビュメン・ペーパーも開発され、その弱点であった色あせやすさも次第に改良された。

この頃から肖像写真のほかに記録写真が出現し、一方でアマチュアらにより心情を反映した写真も撮られるようになった。

コロジオン法を使った風景写真には、ギュスターブ・ル・グレイの作品のように光や水や空気感のうつろいの一瞬を捉えたものも出始め、写真は静止した風景から次第に動きを感じさせる風景に関心を見せるようになる。

クリミア戦争で現像用馬車に乗って戦地を回ったロジャー・フェントンや、アメリカ南北戦争でのマシュー・ブレイディ、アレクサンダー・ガードナー、ティモシー・オサリバンらによる報道写真も登場したが、この写真技術の感度では戦闘の激しい瞬間は写せなかった。その代わり物資の運搬風景、兵士たちの写真、戦いの舞台となった後の荒野やあちこちに横たわる戦死者などを撮影したが、これらは当時としては大きな反響を呼んだ。その他、植民地化や欧米の帝国主義の進出に伴い、開国したばかりの日本をはじめ欧米以外の世界の風景や風習がヨーロッパ人によって撮影されるようになった。

コロジオン法の普及により豊かな層の中には自分で写真機を買う者もあらわれ、アマチュア写真家も多く出現した。ジュリア・マーガレット・キャメロンは絵画的な肖像写真を多数撮影し、写真家にして児童文学者ルイス・キャロルは多くの少女達の写真を撮影した。

ルイス・キャロルについて

Wikipediaより出典 - Article - History - License: GFDL

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